I’m such a maverick ?

Mavericks(OSX10.9)に上げたはいいけど、また色々と入れ直さないといけないことになっていた。。。

特にうっとおしいのがPerlのモジュール周り。
OSのバージョンが上がる度に自分でいれたものは入れ直さないといけない。
さらにまだLeopardからの32bitバイナリとSnow Leopard以降の64bitバイナリがまだらのように存在しているから、ビルドし直した途端にリンクエラーの嵐になる。

今まで動いていたものを再度動かしたいだけなのに!

とはいえ、ブツブツと文句を言いながら重い腰を上げて必要なものを入れ直すだけで済ませられるのだから、まだマシだと思う。
開発やっていない人だったら、もうお手上げもいいところだろうから。
いくらコマンドライン環境との親和性がいいと言いながらも、やはりOSXはUnixもどきでしかないのだろう。
ちょっと割り切り過ぎだわ。

とりあえず、3時間ほどかけて棚上げにしていた各種ツールの復活作業を終えることができた。マイナスを0に戻すだけのことなので、非常に虚しい。
ま、最近仕事で開発をしなくなったからいいリハビリではあるのだけど、でも生産的でないところが哀しい。

てな感じで嘆き節を一腐れぶったところで、またOSのバージョンアップがあれば喜々として飛びついてしまうのだろう。
あー、因果なもんだ。

もらい泣き

いやー、今日は朝から疲れた。
夜桜、凪あすと2作品続けてみて、タオルを手放せないほどに涙腺を蹂躙されてしまった。
おかげで、見終えたあとはぐったり。
汗だろうが涙だろうが分泌できるものは分泌するのが体にはいいそうだけど、これはさすがに体力がもたない。
すっかり目が腫れぼったい。

とかくそれほどに感動や共鳴を覚えるものでもなく、涙を流しながら頭の片隅では「くぅ〜、この声優いい演技するなぁ〜」と別の意味での痺れを感じたり、あるいは「ちきしょー、この構成だったら泣くに決まっているだろ、あざといシナリオ書きやがってぇ!」と毒づく自分がいたりもする。
この僅かばかりに残った理性が却ってうっとしいのだけど、それでも、やっぱり心の大半は目の前のキャラへの感情的な同調でフル稼働していて感情の抑制がついていなかったりするので、結局は涙を抑えることはできないのだ。
さすがに嗚咽を挙げるほどのことは滅多にないけれども、それでも場合によっては喉が締め付けられるような思いをすることはある。あれって、どういう生理現象なのか知らないけれど、その瞬間に「うわっ、何そこまで感極まっているんだ」というセルフつっこみで辛うじて冷静さを取り戻しているけれど、稀にその暇を与えない作品もあるもんだから始末に困る。
おかげで、未だにあの花のBDは開封すら出来ていないんだよなぁ。

この豆腐のように柔になった涙腺には恐怖すら覚えてしまう。
いずれはらっきょが転がっただけで滂沱の涙を流すのではないかと思うと末恐ろしい。
いまや、映像作品は家で独りで見る以外にはあり得ず、油断すると読書でも「あぁ、目に入った汗で前が見えないよお」となって、必至に欠伸を繰り返すはめになる。

幼少のみぎりより父上からは「男が涙なんか見せるんじゃねぇ(ト書き:必要であれば肉体言語も可)」という伝統的価値観で躾けて頂いたおかげで、随分と歳が降るまで涙は極力こらえるものだと思っていた。
しかし、涙の一つでも流した方がすっきりするんじゃないのという経験を色々とこなしたおかげで、すっかりと涙もろい人間になってしまった。
いや、昔から涙腺はかなり弱かったから、そういう己を甘受できるようになっただけなのだけど。

それにしても、涙を流したあとは何とすっきりすることだろうか。
一時のけだるさはあるものの、結果的には爽快な気分になれる。
もしかすると無意識のうちにこの快感を求めて涙しているのではないかと思えるほどだ。
今年はあとどれだけ涙するかは分からないけど、とりあえずタオルだけは常に新しいものを欠かす事なく用意しておくことにしよう。

17年目のどうでしょう

関西でもようやくに新作の放送が始まった。
早速に観てみたけど、相変わらずの面白さであっという間の30分だった。
ま、今回に関しては事前情報は全くなかったものの消去法でな〜んとなく予想が付いていたのだけど、それでもあの旅先を紹介する一幕というのは観ている側まで妙な緊張を感じてしまい、古典的なながらも実によくできたコメディーであると再認識させられてしまう。
藤やんの派手なキュー出しには毎度ながら大笑いする。

それにしても、時の流れは恐ろしいもので、すっかりとどうでしょうに対する渇望というものは感じなくなってしまっている。
これが昔であれば新作の開始を今か今かと待ちわびて、毎回見終えた後は次回が待ちこがれてしょうがなかったものだけど、今は「お、始まったな。楽しみ、楽しみ」「あー、面白かった。来週も楽しみだなあ」ぐらいでしかなく、実に枯れたものである。

果たして、あのマグマのような情熱は消え去ってしまったのか。
そうではない。
そうではないからこそ、この番組は恐ろしい。

おそらく全国にいる同志諸君は皆同じだろうけど、もう腹を決めてしまったのである。
文字通り本当に生涯をかけてこいつらの姿を見続けてやろうと。
冗談から出た「一生どうでしょうします」という言葉が、静かにしかし着実に多くの人の人生に入り込んできているのだ。
実に凄いことだ。

だから、こちらも力んでいられない。
もうビデオレターぐらいにしか思っていないもの。
「お、みんな元気だな。」「ああ、相変わらず馬鹿だな。」と親戚か仲の良い友達の姿を見る感覚でいる。そこには次回への期待だの、中身の吟味など、そんな大げさな気持ちは一切ない。
頑張っているあいつらがいて、何とかやっている俺がいる。
それだけのものだ。
でも、それで一生が続く企画って繰り返すけど凄いことだ。

おそらく、いつか誰かがいなくなる日を私たちは目にするのだろう。
そうして、互いに人生の黄昏を感じる時がくるのだと思う。
それでもなおきっと、私たちは忘れることなくいつまでも次の便りを待ち続けることだろう。
まだまだ、どうでしょうの旅は終わることがない。

#そろそろBD-BOXでも出してくれないかなぁ。

秋の幸

鮭来たーっ!
出資をしている南三陸伊藤サケファンドの特典として鮭の切り身と筋子が送られてきた。
少し前に募集のあった数量限定のタラの切り身と白子のセットには外れてしまったけど、見る限り鮭のセットでも全くもって文句なし。
筋子は1腹、切り身は御弁当箱ぐらいの容器にぎっしり。
なんと眩い光景だろうか。

さっそくに筋子の処理からとりかかる。
ご丁寧に小さな金属製の網まで送って頂いたので、筋子をゴシゴシとすりつけるようにしてイクラを外していく。最初はイクラを潰してしまうのではないかとおっかなびっくりだったけど、こわごわしていてもちっともイクラは外れないので、意を決してゴリゴリとやると面白いようにぽろぽろと外れていく。新鮮であるためか思った以上にイクラは頑丈で殆ど潰れることはなかった。
ちゃちゃっと水で洗ってから、醤油と味醂と酒で作った出汁につけて完成。
数時間もすれば美味しいいくらの醤油漬けとなる。
もう作っている時から笑いが止まらない。

次に鮭の切り身にとりかかる。
これが少し悩んだ。それなりの量があるので、炊き込みご飯やムニエルなど色んな料理をして楽しむのも一興かと思ったのだけど、平日の夜にそこまでの余裕はない。と言って、いくつか作って置いておくというわけにもいかない。やはりムニエルはできたてがいい。
結局、あれこれ悩んだ挙げ句にオーソドックスに鍋にすることにした。
ちょうど、自家製の塩麹が出来上がったばかりでもあるので、野菜やキノコも入れて塩麹鍋にすればまずハズレはない。
ついでに一ノ蔵の酒が何本かあるので一本は料理酒に使うことにしよう。
洒落じゃないけど、東北の酒と鮭なら相性もいいことだろう。
鍋に全ての材料をぶちこんで、お酒と水を入れて煮立ったら塩麹をいれて味付け。
あとはしばらく煮込めば完成。実にお手軽で簡単。
しかし、美味い。
今日は休肝日だから飲めないけど、酒もご飯も進むこと請け合いの鍋が出来上がった。

最後に、筋子の皮を使って適当に一品作ることにした。
どうにも捨てるには惜しい気がしたので、とりあえず臭みとりにお酒と醤油につけてから、ごま油で焼いてみた。
フニャフニャと妙な歯応えのものが出来たのだけど、不味くはない。
さらにはある既視感を感じてしかたがない。
なんだこれは?と考えながら、ちびちびと齧っているとふと思い出した。
こりゃ、半助だ。それもあらかた肉を食べた後の。
となると、これは甘辛のタレで焼くのがよかったのかもしれない。
そうすれば、酒のアテとしてもいいものができたかも。
ま、ご飯ができるまでのおやつとしては今日の出来でも充分だったのだけど、次の機会があれば是非ともチャレンジしてみよう。

不意に届いた秋の幸。
しばらくは頬を緩めてくれることだろう。