ML

ふと思い起こして、昔いたML(今でもきっとまだ生きていはいるんだろうけど)関連のキーワードでググってみたら。。。

うわー、名前入りで写真残ってんじゃーん。
いやー、あの頃はそれが当たり前だったもんなー、今では考えられんけど。
青臭い自分の姿は今でも致死量に値する恥ずかしさと情けなさで満ちている。
ま、名前だけでは決して出て来ないところがまだ救いかな。

しかし、こうやって自分の人生の一部がかそけくデータの海に漂っているというのは何とも不思議なものだ。

とにかく、あのMLのことは墓場まで持っていかんといかんな。

コクリコ坂から

風の噂に今回は出来がいい(ゲドに比べるとうんと)と聞いていたので、構えることなく見てみたのだけど確かに良い作品だった。
ジブリの作品の中で駿監督以外の手になる作品としてはこれが一番いい出来だったのではないかと思う。何よりもバランスの良さが際立っていたと思う。

とんでもない大事件が起きるわけでもなく、波瀾万丈の展開があるわけでもなく、一癖も二癖もあるキャラが出てくる訳でもなく、起伏の乏しさは否めないのだけど、その分あっさりとシンプルな作りになっていて、90分という長さを考えるとちょうどいい濃さになっていたんじゃないかと思う。
個人的なツボは終盤、海と瞬が小野寺船長から父親の話を聞くところ。
子供達に声を残すことなく逝った男たちの思いが友情を経てようやくにその遺児へ伝わったのかと思うとここで涙腺開度MAXだった。

あいかわらず、と言った方がいいのか吾朗監督への批判ともとれるこの作品へのマイナス評価は目立っている。
その批評の根底にはやはり駿テイストへの執着があるように思う。
「オヤジの呪縛から抜け出せてない」という批評があったけど、それはそっくりそのままそういう批評をしている人へ返したくなる。
吾朗監督には吾朗監督のテイストがあるわけで、駿監督のようにコテコテの仕掛け一杯の作風だけがジブリではない。
盛るのが駿であれば、削ぐのが吾朗なのではないかと思えるほどに、アクがとれた作風は評価に値する。
これは実写映画でなくアニメだ。
アニメで一番大事なのはイマジネーションの躍動だ。
海の心模様にスポットをあてたこの物語は充分にその躍動が感じられた。

ゲド戦記の時には正直「やめちまえ」とかなり腹が立つ思いがしたけど、今回の”コクリコ”は本当によく頑張ったと思う。
これなら次回も期待ができる。
是非とも自己の境地を追い続けていって欲しいものだ。

2013年冬アニメ

2013年冬アニメは過去最高に見ている本数が多い。
実に26本。。。
ま、5分作品が5本、2クールの後半期分が5本、それぞれあるので純粋に30分枠としての新作は16本なのだけど、これでも多いわな。一気に全部消化するとなるとほぼ丸一日はかかるわけで、絞って選んでいるつもりでもやはり多い。

でも、いくつかの作品は端から見る気もないのもあって省いているぐらいだから、人によっては30近い作品をみる人もいるんじゃないだろうか。
一昔前の乱造期には週に50近い作品が放送されていたというのだから、その頃に比べると少なくなったのかもしれないけれども、それでもまだ多いと感じる。

まさに玉石混淆という感じであるのは毎シーズンのことではあるのだけど、それでも良い作品だと思えるものが両手で数えるほどあるというのは良いことだと思う。
特に今期は”三話切り”する作品が極端に少ない気がしている。

とはいえ、少し懸念も。
ネットがすっかりとリア充な人達に占拠されてしまい、コミックを原作とするTVドラマが普通に作られるようになった昨今において、アニメというのが最後のフロンティアとなってしまっている。それは単にコンテンツとしての経済性が弱いからまだ注目されないだけで、ジブリ作品のように世の耳目を集めるメジャー媒体になってしまうともういけない。それでは私たち日陰者の居場所がなくなるというものだ。
あー、どーか、世のメジャーな方々には末永く「アニオタきめぇ」と思われますように。
間違ってもワ○ピースみたいに良い認識を得ませんよーに。

ヤマカンが「アニメは作っているヤツも見ているヤツもきちがいだ」と嘯いているけど、発言の意図は別として結果的に表現していることは正鵠を射ていると思う。
業界としての経済性は全く担保がされず酷い現場が荒野のように広がり、一握りのユーザーが尋常でない購買をすることで商行為が成り立っている世界。そりゃぁ、ある意味”きちがい”だわな。

それでもやめられないのは、そこに一抹の真実があり、それに心動かされることがあるからに他ならない。
彼の”まどマギ”がもはや「びじねすぱーそんの常識」にまでなってしまっているようだけど、そんなものはちゃんちゃらおかしい。後付けの理屈でさも分かったかのように言うのは何もみていないのと同じだ。
「なんだ、なんだ、どういう方向性なんだ」と1話からドキドキしながら見始めて、3話であんぐりと口を開けたまま固まって、8話で物語の残酷さに震え、最終話で訳も分からず涙する。
そして、結局心に残ったのが「うわっ!なんだか凄いものを見ちまった!」という驚きのみ。
実に非生産な所業だけど、これが大事なんである。
この言語化できない衝動こそが「真実」なんであって、手垢の付いた無機質な能書きで説明してみたところでそこには何の意味もない。

この2013年もきっと歴史に残る名作が生まれるに違いない。
余すところなく堪能したいものだ。

チゲ鍋

うーん。

なぜか、すき焼きの味がするんだよな。
後味として残る甘辛さが実に”すき焼き”

コチュジャン使って、味噌使って、醤油少々使って。。。こんなもんなんだろうか。

ま、美味いからいいんだけど。

これはうどんをいれると、、、やっぱり、”すき焼き”なんだろうなぁ。

斜陽の帝国

「結婚相手に求める年収は600万以上」「金のない男とは結婚したくない」「正社員以外は相手にもしたくない」という煽りが最近またよく目につくようになった。
ま、昔から3高なんてものがあったぐらいだし、どうせブライダル業界や結婚相談所などが広告代理店をつかって世論形成している程度にしか思わないので、真に受けてもしょうがないのだけど、気になったのがなぜそこまで経済的担保を求めるのか、ということ。

理由を見てみると「子供に苦労をさせたくない」というのが多い。トップと言ってもいい。
なんとも聞いていて萎える意見だ。
なんで正直に「貧乏だと自分が惨めに思えるから」と言わんのかな。

確かに、経済的に苦しいと生活に制限が出るので望ましくないのは分かる。
しかし、それが子供の苦労につながるかというとそれはまずない。
子供が苦労するのは、貧乏に耐えられないことで起きる親の不条理な行動が要因にあるのであって、貧乏そのものが子供へ苦労をかけることはない。

小学校の頃、毎月の給食費も満足に払えない家庭の子がクラスに何人もいたけど、彼らはそのことを別段に苦にしていることはなかった。
うちも貧しい方だったけど、世の中には階層というものがあってそれは子供にはどうしようもないことだから気にしてもしょうがない、ぐらいの認識は自然と身につくものだ。
親があっけらかんと貧乏を受け入れていれば、意外に子供はそれを許容してしまうものなのだ。
変に余計なバイアスをかける方がよっぽど子供には悪影響を及ぼす。

おそらく本当に”一億総中流意識”というのが完成されて、こういうところに現れてきているんだなと思う。
過去に根絶されたはずの貧乏という恐ろしい病原菌が再び世を席巻し始め、その罹患に恐怖を感じているのが件の結婚観なんだろう。
そういう意味では、キャリアが少なくなった現代ではその恐怖感はしょうがないことなのかもしれない。

でも、高い位置から始めて常に堕ちる恐怖を抱きながら過ごす毎日よりも、低いながらも上がることを考える毎日の方が楽しいと思うのだけど、これもキャリアでなければ得られない妄想なんだろうか。

いずれにせよ、今の若い人達は可哀想に思える。
何かしらの不安や焦燥感に追われて生きているんだもの。
斜陽の帝国だな。

SHERLOCK

てっきりリバイバルなのかと思っていたら、まさかの現代劇バージョン。
何の前知識もなしに見たので変に色眼鏡を通してみることなく楽しむことができた。

第一話はその名も「ピンクの研究」。
原作を読んでいればこれだけで”単に時代設定を現代にしただけじゃないんだぞ”というメッセージを感じ取ることができる。
実際に見ていると、実に楽しい。
テンポもいいし、台詞の掛け合いも軽妙で面白い。
そして、原作をうまく”改変”しているところがよかった。

たとえば”Rache”のダイイングメッセージ。
原作ではホームズにこけこけにこき下ろされた”Rachel”説が事件を解くキーワードになっていて、この辺りは原作を知っていてもこの物語においては何の意味もない上に、却って混乱をするという凝った作りになっている。
原作を知らなければ普通にミステリーとして楽しめるし、原作を知っていると目の前の物語と原作での物語の両方を追いながら二つの差分を確かめるという楽しみがある。
こういうところは英国”らしい”流儀なのかもしれない。

個人的には、一話からいきなりマイクロフトが出て来たのがうれしかった。
かなり原作とは異なるキャラ設定だったけど、これは少しだけ視聴者のミスリードを誘う目的もあったのだろう。
ま、出オチ感が若干あったので、もう出て来ない可能性が大だけど、ホームズ、ワトソン、ハドソン夫人以外での重要キャラといったら彼をおいて他にいないので、1話の段階で彼を外さなかった点は実に素晴らしい。
あと、グレグスン警部が出て来たら完璧なんだけどな。

物語の内容は、初回だから当たり前だけど、基本的にはキャラ紹介で終始している。
この人達はこういう人達ですよ、こういう人間関係なんですよ、という説明エピソードで構成されている。
そして、そのためだけに”緋色の研究”を換骨奪胎して事件の謎解きはあまりクローズアップせずに、事件を通してのキャラの動きにフォーカスが当っている。
これはいい判断だと思う。
原作を知らなくても、いや知らない方が楽しめる作りになっているのだから。
無論、原作のポイントはうまく残しているので、そういう点をみつけて楽しむこともできるのだけど、それは余録に近い。
ちなみに、その余録も本当によく出来ていて、例えば有名なワトソンの負傷部位の件も見事に上手く消化している。

これは実に楽しい作品に出会えたものだ。
話数が少ないのが残念だけど、次回も楽しみにしたい。

ランスの告白

とうとうアームストロング自らドーピングを語ってしまった。
正直、残念でならない。
今でも彼だけは白であってほしかったと思っている。

彼自身、ドーピングしなければ残せない成績であったと言っているけど、本当にそうだったのだろうかと否定したい気持ちでいっぱいだ。
確かに、最後の一漕ぎ、最後のスパート、最後のせめぎ合いでドーピングが功を奏したことはあったのだろう。しかし、彼が見せたパフォーマンスは決してそれだけではなかったと思う。
少なくともクレバーな心理戦やリスク回避の行動はドーピングに関係なく彼の資質そのものであったし、アームストロングという選手ならではの成果であったと思う。
この事実だけは穢しようのない彼の勲章だろうし、その点では彼は未だに偉大な選手だったと思う。

でも、多くの人の期待を裏切り欺いていたのもまた事実なのだろう。
これは看過できない汚点だ。栄えある過去の栄光が剥奪されるのはやむを得ない。
手に汗して声援を送った一ファンとしては無念でならないけど、彼の犯した罪はあまりにも大きすぎる。

それにしても、一体どれだけの英雄がドーピングのために表舞台を去ったことだろうか。
昨日のヒーローが明日には堕ちた敗残者になっている。
正直、もうこんなことは見たくない。
スポーツの中でも屈指の過酷なレースを征する英雄だからこそ感動するのであって、その尊い闘いを踏みにじるようなことは決してしないで欲しい。

しかし、本当に残念だ。
数少ないボクのヒーローだったのに。。。

就職

今日は中途採用者の面接を何人かしたのだけど、ちょっと驚いた。

話を聞いてみると、大体の人が今の勤め先の経済的な待遇に不満や不安を持っているというのが転職の主な理由だった。
ま、世間様の世知辛さは自分でも感じているのでその点は大いに理解できる。
仕事の幅を広げたいという意見もあったし、不幸にして良い職との出会いがなかったのかと思うとこちらも期せずして得た縁を真剣に活かしたいと思うんもんだ。

な、の、に。

うーん、全然アピールしないんだよなぁ。
これしか出来ません、これしかしたくありません、というマイナスのアピールはするのだけど、前向きに自分を売り込む人はホントに少ない。
これには呆れるよりも驚きを感じてしまった。
ひょっとして新卒採用と勘違いしているのではないかと訝ってしまったほどだった。

正直言って、大手企業ならいざ知らず、うちのような中小企業では何ができるかよりも何を実現できるのかが大事だ。
○○という技術を知っています、よりも知らない技術でも3ヶ月頂ければ何とかしますよ、と言ってくれた方がよっぽど頼り甲斐があるように感じる。
つまるところはビジネスなので、結果を残せる事が肝心。その結果を残せることを如何に期待させるかかが面接では重要だと思うのだけど。。。

今回の面接で全てを語るつもりはないのだけど、個人的には良い社会勉強になったと思う。
どういう世の中でもあっても、意志ある者にのみ道は開かれるのだなあとあらためて感じた。
半ば時間の無駄を感じて哀しくなる瞬間もあったのだけど、こうして振り返ってみれば得るものはあるもんだ。

それにしても、彼らはこの先どうなるのだろうか。
他人事ながら、案じられてならない。

連休

ようやくに仕事も一段落ついて、今日は有休をとっての4連休。
いぇい。

昨日は定時でさっさと上がって、のんびりするぞと意気込んだところ20時過ぎには強い眠気に襲われて轟沈。
朝まで実に12時間以上も眠りこけることになったけども、”休み”と意識した瞬間にこれだけで深く堕落できるのもある意味凄い。年明け早々だからそれほどに疲労も蓄積されていないのに。
如何に日常をこの暗黒面を制御しながら過ごしていたのかがよく分かる。

軽目のブランチを早くにとって、昼からはお茶菓子とお茶をすすりながら、気ままに午後を過ごしている。
新しく届いたCDやBDに、まだ読んでいないコミックや小説もあるし、アニメの新作もまだ観ていないものばかり。
あー、4日では足りんよ。
と思いながらほくそ笑むこの瞬間が、きっと、この4日で一番楽しい時間なんだろうな。

黒豆茶と蕎麦饅頭で身も心もとろけそうだわい。

正月もおしまい

ぐわー。休みがを終わるー。

ということで短かった冬休みもおしまい。
明日は日がな苦手なデスクワークをして、土曜日も出勤の予定。
年明け早々からエンジンフル回転で臨まなければならない。
ま、僅かな希望として土曜日の出勤がまだ確定していないというのがあるけど、それはあくまで希望的観測というもので、甘い夢というのは得てして最悪のタイミングで覚まされるのが世の常だ。
きっと、さぁ上がるぞ、という時に「やっぱり、来てぇ〜」となるに違いないんだ。

しかし、人間えらいもので、予測される悲劇に対しては構えができるようだ。
30日にようやくの休みを得てからずっと、寝て、観て、食べて、入ってだけを繰り返していたせいか、そこそこに長い時間を過ごした気分になっている。実際にはたったの5日間なのだけど。
おかげでいつものブルー・マンデーではあるものの、例年感じる堪え難い喪失感がない。
年末年始を過ごしたという特別感は皆無で、少し長い週末を過ごしたという感じ。
ちょっと日本人としては情けない気持ちだけど、非日常感を体感してすぐに仕事に戻れるほど強くはできていないので、今のこの生体反応は実に置かれた環境に適したものだと言える。

さて、明日は何時に帰ることができるのか。
また先の見えない日々が始まるのだなぁ。