奥播磨も償還

全量純米に続いて奥播磨も償還を迎えた。
こちらは利益が出たので先の全量純米の損とちょうど相殺してくれた(少しだけ足は出たままだけど)。
儲けなんぞ端から期待してはいないのだけど、また他のファンドへ回すことを考えるとやはり原資が目減りしないにこしたことはないので、正直プラスの利回りは歓迎だ。

無論、多少の損があっても別に気にはならないともあらためて思った。
毎年お酒はもらえるし、銘柄に対する親近感も湧く。
それでいて、お金が殆ど全額返ってくるのであれば多少の損が出ても帳消しになる程度のメリットは享受できている。

飲食関係のファンドはどれも数%程度の利回りしかないみたいだけど、音楽関係には50%以上なんてのもあったので選び様によっては多少の儲けが期待できるみたい。
でも、この手の応援ファンドで儲けを考えるのはあざとい上にせこい感じがする。
基本的に損は当たり前で引き受けるからこそ意義があるのであって、純粋な経済行為としてみるのは「野暮」なんだよな。

とはいえ、普通の銀行ではあり得ない利回りなので、使い様によってはそこそこにポートフォリオとして機能してしまうところが何だか皮肉にも思える。
奥播磨は3年で約7%(税引き前)だったけど、これが国債であればかなりキナ臭い代物でしかないけど、こういう小規模なファンドであれば普通にあるんだよな。
もっとも、募集される口数が少ないからやっぱり儲けに結びつけることはできないけれども、元手は少額で済むから株主優待目当てに下手な株買うよりも安定したメリットがある場合もあって、これはこれでなかなかに侮れない。

ま、こういうのって大々的にやると目の色を変えた無粋な人の割合が上がるから、今みたいに知る人ぞ知るという感じで粛々と運営されるのがいいように思う。
そして、小規模なファンド運営母体の数が増えるのがいいのだろうな。
今は東北の復興関連で償還期間が長いものが多いから、もう少し償還期間が短いものも増やしてもらって、せっかくの資金だからできればあちこちで回してみたいとも思う。

数年かけて車1台分ぐらいを世の中で回してみるのも一興かもしれないな。

イクラ丼

週末に部下から「助けて下さい」という泣きの一報を受けて、日曜日だというのに休日出勤。。。
あー、去年なら残業代が出るから別のよかったのだけど、今は基本的に無償労働なんだよなぁ、と独り寂しく恨み節。
とはいえ立場上なんとかしなければいけないので助っ人として朝から晩のいい時間まで参戦の一日を過ごした。

できる限りのことはやって、家に帰ってからはご褒美のイクラ丼!
これぐらいの物がないとやってられんと家を出るまでに解凍にまわしたのがいい感じに仕上がっている。
去年末に揃えた海鮮セットもついに御大イクラ様を残すのみとなって、このインケツな日に登場頂くことにした。

丼にご飯を盛り、スプーンで好きなだけイクラをかける。
赤いルビーのようなイクラがキラキラと輝く様にはうっとりとしてしまう。
ああ、もう辛抱たまらん。
体の内から溢れるリビドーは凄まじく、やはりイクラというのは自分の中でも特別な存在であることが実感できる。おそらく魂の芯から好きと言えるだろう。

丼を頂く時はいつも箸でなく匙だ。
丼の盛られたご飯の山を匙で削り取るように頂くことに言いようの無い幸せを覚えてしまう。
それがイクラ丼となれば、箍が外れるのに時間は要らない。
ものの数分でドラマは幕を閉じることとなる。

流しにつけた丼の底で白く色づくイクラの残滓が幸福な時を証明している。
ああ、今週はあと数日はこの喜びを楽しむ事ができるのだ。
仕事休んで一日中食べていたい。。。

鼻先のニンジンってやっぱり大事だよなぁ。

お年頃

微妙なお年頃になってきた。
大人か子供かなんて言う前に若者かオッサンかという命題の方が先に来るお年頃だ。
後輩達と話をしているとどうやらまだまだ若者の部類に入っているらしく「まだまだこち側にきまってるじゃないですか」と言われる。
でも、先輩達と混じって話していると「何、若者のフリしてんだよ、お前は完全にこっち側だ!」とからまれるので、結局どっちなのかよー分からん。
総じて、ちょっとマセた言葉を吐くガキんちょなのかな。

ま、気持ちというか本当に心理的な状態としては永遠の中二であることは間違いないのであまり気にするほどのことでもないのかもしれないけれども、ふと思い出したのが今の年齢の時にオヤジはどうであったのか、ということ。同じ遺伝子を持った生物学上の先達として、参考にはなるかもしれないと、振り返ってみると、驚いたことに既に中一の息子がいたのだよなぁ。
いやぁ、もうこれは大変なことだ。あらためてびっくり。

もし、自分の生活圏に中学にもなるジャリがいたらどう思うか。
それはもう、鬱陶しくてしょうがないと思う。
あの頃の自分なんてもう覚えてもいないのだけど、あまりにもぱっとしない奴だったと思う。
暗くてひ弱で、そのくせ変なコンプレックスと反抗心は持っていて。
そんなややこしいのが狭い家の中に居るのだからたまったもんじゃない。
何考えているのか分からないのだもんな(実際は何も考えていないけれども)。
それを受け入れていたのだから、偉いもんだ。
この一点だけでも、オヤジを見直してしまった。

そろそろ社会的には責任を求められる年齢もしくは立ち位置になるのだけど、今までそういうったものからは全力で逃げて来たので、あまり「年相応」というものには実感が湧かず想像もつかない。
無論、頭では社会的規範なんてものは知っているけれども、それは単なる知識であって自らの立ち居振る舞いに現れるかというとそんなことは全くなくて、日常では大人の仮面をかぶってぎりぎりボロを出さずに済んでいるだけだ。
でも、もうその仮面も随分とくたびれきたからこれはこれでどうにかしたいと本気で思っている。

やはり環境なのだろうか。
みんなどうやって大人になっているのかな。
なんてことを思いながら一生を送りそうな気がしてならない。

とうとう

もう1年以上も前だけどお気に入りのカレー屋が閉店をした。
マスターが病気になって治療に専念するために店を閉めることにしたらしい。
以来、その店の前を通るたびにいつ復帰するのかなぁと首を長くして待っていたのだけど、とうとうその願いは永々に叶えられなくなってしまった。
といっても、それは去年の秋の出来事のようで、一客に過ぎなかった自分が知ったのはネットを通じて今になってだ。
いつも仏様のような笑顔を浮かべていたマスターの表情が偲ばれる。

思えば、別の洋食店も同じようにオーナーが病気にかかって店を閉じたというのがあって悲しい思いをしたことがある。
お気に入りのお店がなくなるのは辛い。
それは単に美味しいものが食べられなくなるだけではなく、一つの空間がなくなることも意味してこっちの方が心には痛い。

有名なお店だったからきっと悲しみを覚えた人は多くいたことだろう。
でも、それだけの存在になったマスターは偉大だ。
みんなの喪失感だけがせめての供養になるような気がする。

それにしても、あのカレー。
もう一度食べたかったなぁ。

合掌。

特別純米酒 旭日

最近は日本酒にしろワインにしろ2日で1本空くので、つい記録損ねてしまう。。。

滋賀の藤居本家さんの特別純米酒「旭日」。
年の始めらしく験のいい名前のお酒だけれども、興味深いのは名前だけでなく船渡6号という幻の古米が使われているところ。
滋賀発祥の酒米で山田錦の先祖でもあって、滋賀の蔵元ではこの船渡にこだわっているところは結構ある。
以前に松の司の船渡仕込のお酒を頂いたことがあるけれども、実に美味しかった。

この旭日も、非常にすっきりとした中にほんのりとした甘味があって至って呑み口は爽やか。
そして、山田錦の源であるだけに香りもいい。
相手を選ばない従順さがあって、控えめながらしっかりと側に寄り添ってくれるような優しさを感じる。
高級感や力強い個性はないのだけど、日常の中に溶け込んでは得難い存在になりゆくことが予見されるお酒だ。

個人的にはお刺身やお寿司などのあっさりとしたものとの合わせが一番いいように感じた。
お互いに美味さを支え合うようなところがあって、非常に好感が持てる組み合わせだった。
今年は日本酒以外のお酒に浮気をしようと考えているのだけど、なんだか本妻の凄みを見せられた感じ。
なんだかんだと言いながら、最後にはここへ戻ってくるのだろうなという安心感さえ覚える。

良いお酒だ。

保命酒

思いのほかワインの残りが少なく不完全燃焼。
この想いを受け止めてくれるものは他に何かないか。。。と冷蔵庫を開けて目についたのがこの方。

随分と冷蔵庫の中では古株にもなってきたことだしそろそろ活躍してもね。
一応、体にも良いし(少量を継続して呑むには)。
しかし、この色を見ているとちょっとウイスキーも欲しくなってくるんだよな。
今年はボウモアを買ってみようかなぁ。
なんて。

いやぁ、しかし、甘いなぁ、この酒は。
寝酒にはちょうどいいかもな。

ワインのアテ

ワインのアテのチーズがなくなってしまった。
といって、何かアテになるものがあるわけでは。。。と頭をひねってふと思い出したのが、チーズと魚肉ソーセージが残っていたこと。
これで何かできるんではないか?

とりあえず考えてみたのが、チーズにケチャップ、マヨネーズ、塩胡椒を塗って、魚肉ソーセージを捲いてチンするだけ、というもの。
チーズがとけていい感じになるんではないかという予感がする。

80秒ほどチンしてみたのだけど、見た目はいい感じ。
チーズがとろけて美味しそう。

で、肝心の味だけど、どれも思ったよりも美味しかった。
まず、塩胡椒は胡椒の風味が実にアテらしくていい。これは冷めても全然いけるので食べる順に困らなくていい。
次に、マヨネーズ。これはもう鉄板中の鉄板という感じで、文句無しに美味い。パンに挟めばまんまサンドイッチになるわけで、そりゃぁ美味いのも当たり前だわな。
カロリーが気になるけれども、これとワインがあれば晩ご飯要らないかもしれない。
そして、ケチャップ。これも意外といける。ケチャップの甘味が箸休め的な穏やかさを持っていて、手が出る頻度は少ないのだけど、呑んでいる合間にふと続けて食べてしまう安心感がある。

適当に考えてやってみたのだけど、実にこれは当りだったような気がする。
魚肉ソーセージならかなり安いし、チーズも安物で構わない。
家にある調味料で、これだけ手軽に酒のアテが作れるとは思ってもみなかった。
正直、これははまってしまいそうな予感。
とりあえず、週末にはまたワインを買いに走ってしまうかも。。。

偶然の産物に感謝、感謝。

トワベー・エ・オウモン 2010

今年初めてのワインはこちら。

「トワベー・エ・オウモン」という2010年産のボルドーワイン。
はっきり言ってワインのことは丸っきり分からないので酒屋の大将に「赤でしっかりしたの」というぐらいのリクエストしかできなかったのだけど、「ほなら、これは鉄板でっせ」ということで勧められたのがこのワイン。
たったの¥2,000程度。ワインにしては安価じゃないかと思う。

去年末にイタ飯屋さんでメルローを呑んで軽さを楽しんだのだけど、家でやるとなるとやはりのみ応えがほしくなる。で、ボルドーなら多少はそういうタイプが多いのかなと思ったのだけど、フルボトルでありながらライトな新鮮味もあって、なかなかに美味しいワインだった。

「翌日ぐらいの方がまろやかになって美味しいのよ」と女将さんが教えてくれたように確かにこのワインは2日目、3日目が美味しい。
開けたあとはまだ味が落ちついていないような感じがするのだけど、1日経つとどっしりた重さと果実の軽さが入り交じった不思議な美味しさが出て来る。
正直、1本では全然足りなくて2本買っておけばよかった後悔するほどだった。

とりあえず、アテとしてはこいつを選んでみた。
室温にならして少し柔らかくなるぐらいがちょうど風味がでて良い。
やっぱり、ワインのアテにはチーズが一番かもしれないな。
ついついワインが進む。

今年はあらためて色んなお酒を勉強してみたいと思っている。
どんな出会いがあるのか、楽しみだ。

赤ワイン

久しぶりに家で赤ワインを呑んだのだけど、あらためて日本酒との違いというのを経験することとなった。
一言でいうと、ワインというのは実に香りあるいは風味の世界なのであるということだ。
今までは感じたこともなかったのだけど、たまたまアテとの組み合わせで気がついた。

カマンベールをあてにしてちびちびと呑んでいたのだけど、鮭の石狩漬がまだ残っているのを思い出してそれで一杯やってみることにした。石狩漬もいわば発酵品。合わないことはないだろうという見込みはあった。
結果的には悪くはなかった。フルボトルのワインなので癖のあるアテはよく合うのは日本酒と同じ公式らしい。
美味しく頂けた。

ただ、ここで一つ、今までに無い、日本酒では決して得られない経験をした。
それは、ワインで石狩漬を頂くと鮭の風味がとてつもなく増幅されるということだ。
口の中で鮭が泳ぎ出すようなとてつもない存在感を表し始める。
これにはびっくりした。
なるほど、ワインとはこういう飲み物なのかと、目から鱗が落ちる思いがしてならない。

赤ワインというとどうしても肉系のそれも脂のある料理と一緒に頂くことが多いので、あまり気付いていなかったのだけど、魚介と一緒に頂くと実にその真価が分かり易く感じられる。
今までは軽い白ワインを好んでのんでいたけど、少しどっしりとした赤ワインで覗く風味の世界というのも広大で面白いものだと思った。

日本酒は味の深化をみせるけど、ワインは殊に赤ワインは風味の昇華を果たすことを今回学んだと思っている。
これは少し、勉強を重ねないといけないのかもしれない。
そうすることで回り回って日本酒の更なる美味しさにも気付けるのかも。

良い出会いでござんした。

17年目

17年目の1・17。
まだ17年というかもう17年というか、不思議な気がしてならない。
あれだけの惨劇は生きているうちにはもう二度と無いだろうと思っていたのに、想像の遥か斜め上行く東日本震災が起きるのだから、何があるか分かったものじゃない。

この日を迎えるたびに色々と思うことはあるのだけど、総じると、今年も元気に生きています。
この一言に尽きるのだろう。
決して許されなかった犠牲者の方々の「明くる日」をしっかりと生きることこそ最高に供養になると思う。
どういう人生であって決して自ら卑下する事なく楽しんで過ごす。
誰でにでも行うことができて、そして、あの悲劇を無駄にしない尊い行為だ。

今晩は、赤ワイン片手にアニメ見ながらゲラゲラと笑うことにしている。
生命を託された者としての凱歌をあげるのだ。
下を向いている時じゃない。