数寄って

ペルソナ4のサントラがすごく良くて自分の手柄でもないのに”うんうん”とただ買っただけの自分を褒めてあげたくなった雨の休日。
コーヒー飲みながら、ぼけっと「数寄」とか「オタク」とかそういうことをあれこれと連想・夢想して、それなりに自分で腑に落ちる見解を得たので、それをエントリーに起こしてみたのだけど挫折。
言葉にしようとするとなんかまとまらないんだなー。
考えにまだまだ言語化できていない部分があるからなんだろうな。

というわけで、大上段から物を論じることなんてことはしないけれども、どうせ「オタク」という属性を持ち得ているのなら現代における「数寄者」となるべきなんだろうなあと思った次第。

そう、この「数寄」というキーワードがなかなかに良いと思えて、”へうげもの”の佐助の気持ちがとても分かったような気がしたんだよな。
「そうか、佐助の心を突き動かす衝動はこういうことだったのか」と変に納得してしまった。

こういう事を考えるのは嫌いじゃないし、半ば趣味みたいなところもあるから、時間をかけてゆっくりと考えてみたいと思う。
とりあえず、書きかけのエントリはまたいつか完成させるために保存しておこう。

TPP

前首相に比べると多少はマシなのかと思っていたけど。

野田首相、TPP交渉参加の意向固める 11月のAPEC首脳会議で関係国に交渉参加を伝達へ

国家戦略がないことがこれではっきりした。

歴史というものは繰り返すもんなんだなぁ。

楽しい音

かっこいいなー。

■TIME MACHINE 「太陽にほえろ!メインテーマ」
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00091/v09989/v0994000000000542113/

そんでもって、こっちも痺れた。
この音楽が流れてくる時点ではがっつりとドラマにハートを掴まれていて、トイレに行く事さえ忘れて親父と二人で食い入るように見ていたものだ。

■TIME MACHINE 「太陽にほえろ!衝撃のテーマ」
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00091/v09989/v0994000000000542116/

何が良いって、演奏している本人達が一番楽しそうにしているということ。
きっと、それぞれに”思い出”があるに違いない。
こういうのを見ると、あー今度生まれ変わった時は音楽してみたいなー、と思ってしまう。

R.I.P. シモンチェリ

まさか彼が亡くなるとは。。。急に飛び込んできたニュースにびっくりしたのだけど、事故の映像を見てさらにショッキング。

エドワーズの左からシモンチェリが突っ込んで来ているけれど、その時には既に体勢が大きく右に傾いていて背中がほぼ地面につきかけている。
後続のバウティスタのオンボードカメラの映像でみると、右コーナーにさしかかって旋回している最中にバランスを崩して右肘が地面につき、左足は大きく宙に上がってしまっている。
そして、そのまま半ば右へ転倒しかけているところで後続のエドワーズとの接触事故になってしまったような感じ.

しかし、ショッキングなのはその後で、クラッシュした際にヘルメットが脱げている。
コロコロと転がるヘルメットが映し出されていて、サーキット上に横たわる彼の姿にはトレードマークであるアフロの髪がくっきりと映っている。

11コーナーで事故は起きたようだけど、まさかこんな中速コーナーで事故が起きるなんて思いもしなかった。いや、中速コーナーだから起きてしまったのだろうか。
映像は見る限りは特に変なところはなく、バランスを崩したところへの後続ライダーとの接触という不運としかいいようのない事故が最悪のタイミングで起きてしまったと言うしかない。
ひょうきんで愛嬌のある選手だっただけに微動だにせず路面に横たわっている姿を見た時には胸が潰れる思いがした。

特にバイクレースだけが危ないわけではなく、レースと名がつくものは全て危険だ。
その危険度の差などノイズにしかならなくて、危ないものは危ない。
どうかこれを契機にバイクは危険な乗り物だなんて馬鹿な考えが広まらないことを切に願う。
きっと彼もそう思っているはずなのだから。

協議の結果

ちょっとだけアテとして頂くことに。。。

大根、豆腐、白子、舞茸、ぶなしめじ、椎茸。
御相手は秋鹿の純米生原酒。

あー、散々に食べた後だけど、出汁の効いたアテだと別腹だなこりゃ。
おかずにするには勿体ないなぁ。。。

鍋はじめました

家の中では未だに真夏と変わらない格好をして、時にはまだ扇風機を回すこともあるぐらいのこのおかしな気候であっても、町中が秋を演出し始めるとやはり季節のものは欲しくなる。

というわけで鍋かおでんをしようと思いスーパーに行ったものの、微妙に決めきれない。
あー、練り物は要るよねー、でもキノコ類も美味しそーだ。
大根は必須だけど、お魚も欲しいかも。
と、適当に目についたものを買っていくうちに、何が出来上がるのか想像がつかなくなってしまった。

とはいえ鍋に入れてしまったらそこそこに美味しいには決まっているので、これまた適当に家にある出汁や調味料の類いと一緒に全てをぶち込んで小一時間ほど煮込んだら、とりあえずそこそこに美味しいものが出来た。
キノコと魚の鍋 a la おでん、と言った感じかな。
飛び道具として酒粕、魚醤、利尻昆布の出汁を使ったのが効いたのかもしれないけど、きっと練り物のパワーも大きかったに違いない。

さっそくに熱燗でもつけて今日は鍋で一杯といきたいところだけど、なんであれ鍋は一晩は寝かして熟成させるのが掟のようになってきたので、今日はまだ頂けないかもしれない。
大根も白子や豆腐も味がしゅんだ方が美味しいし。
あー、どうしよー、風呂に入って腹の虫と相談するかな。

しかし、少なくともこれで一週間はおかずに困らないのは間違いないな。

牡蠣

この季節になると恋しくなるのが牡蠣を使ったお料理。
特にカキフライは無性に食べたくなる時があって、ここんとこスーパーに行くといつも揚げ物のコーナーを覗いてはみるだけど、毎回ため息をついてしまう。

6つ¥300。高いなぁ。
じゃぁ家で揚げようかと思い牡蠣だけを求めようとしても1つ¥48ぐらいで、手間ひまと材料費を考えると揚げたものを買った方が安くつく。
まだ、旬を迎えたばかりなので高目であるのはしょうがないとはしても、今年は東北産が全滅だから例年よりも高値になることが見込まれていると聞くとちょっと穏やかではない。
ひょっとしたら今年はあまり値が落ちないかもしれない。

いつもは2月の後半から3月の前半のシーズンの末を迎えて値崩れする頃合いを見てがさっと買っているのだけど、今年はそうもいかないかもしれないなぁ。
あー、でも牡蠣フライは食べたい。
また牡蠣肉味噌も作りたい。
鍋にだっていれたいぞー。

しばらくは悶々とした日々が続きそうだ。

在庫がピンチ

秋も本格化。。。とは言えない気温が続いているものの、暦的には秋真っ盛り。
冷やおろしの季節になって新作が増えるのは喜ばしいものの、在庫の消化と入荷のバランスがとれなくて、ピンチ。
ついに在庫が10升を超えてしまった。
呑めども呑めども増えるってのはなぁ。。。

ま、お酒もタダではなくそれなりのお金を払っているので、要は自分の意志で買っているのでやめればいいだけなのだけど、「今だけ」というものにどうしても弱い。
考えてみれば、本にしろCDにしろBDにしろ、自分が興味を持つものは全て「今だけ」のもの。正確には「こんなマイナーなもの今手にしとかないと後で手にできないぞ」という脅迫観念にも似たパッションで消費行動に移っているような気がする。

日本酒も然りで、同じ銘柄で同じ杜氏が同じ材料で仕込んだとしても毎年同じ味にはならない。だから、基本的に一回こっきりの出会いでしかない。
無論、技術力の高いところは安定した味を出しているところもあるけれども、それでも飲み手の体調や気候、時期によって最終的な評価というものは左右されるもので、デリケートな存在であることには変わりはない。

わては”今”という時間を楽しんどるんでおます、と言えば聞こえはいいのだけど、端からみれば遊楽三昧の放蕩者なんかもしれない。

ということで、在庫を減らすべく昼から一杯やっているのでございますよ。

お見送り

昨日と同じく本日の葬儀も独り悲しみを感じないまま時間を過ごしていた。
肩を振るわせて嗚咽をこらえる人もいる中、しれーっと一歩下がったところからにやけた顔で辺りを見渡してみると、なんだか自分がとんでもない冷血漢に思えてしまう。
なんだろ、往年の「およびでない?」という感じかな。
悲しみが瞬く間に周囲に伝播していくのを見ていると、ちょっと肩身の狭さを覚えてならない。

亡骸に花を手向ける時もくわっといきなり起き上がったら面白いだろうなぁ、とか、歌うように抑揚をつける坊さんの読経がまるで呻いているようにしか聞こえなくて思わず唇を噛みしめてしまったとか、いやぁ。。。本日も母上には雷落とされてしまった。
別にふざけている訳でもないのだけど、どうにも色々な想像を惹起するものが目についてしょうがない。
なんだかガキ使の「笑ってはいけない」を彷彿としてしまってもう想像、いや妄想を止めるので必死だった。

#とはいうものの雷落とした本人が、火葬場に向かうバスの中ではケラケラ笑っていたのだから、あまり説得力がない。

最後のお別れをした時も、火葬場でお骨拾いをした時も、あまり強い感慨はなかった。
こうも簡単に人は消えてしまうものか、という驚きはあったものの、振り絞るような惜別の情というものは湧いてこない。

初孫として孫の中では一番長い時を共に過ごし、旅行や用事等も一緒にすることが多く、また歴史や科学などのいわゆる学問的な話題も相手できる人間が自分しかいなかったこともあって、それなりに思い出や絆もあるのだけど、やっぱり悲しみは湧いてこない。

やっぱり昨日と同じで、亡くなった気がしないからだろう。
確かに物理的にはもう見える事はできない。
でも、そんなことは普段から離れて暮らしている限り似たような状況であったわけで、急に始まったことでもない。

人が本当に亡くなるのは人々の記憶から消えた時、と云うけれども確かにそのことを今回実感した。
まだ祖父は生きている。
いつでも話をできるし、声を聞く事もできる。
ちょっと遠くに出かけている。それだけだ。
だから、今回のことはちょっとしたセレモニーであって永遠の別れではない。

父や祖母、伯父、叔母にするとそんな簡単に割り切れる話ではないのだろうけど、孫でしかない自分にはいつまでもその関係性は続くものにしか思えない。
だから、悲しくはない。

気をつけて行ってらっしゃい。
次会う時までには僕も土産話を用意しておくよ。
次会うまではしばらく間が開くけど、また顔を出すから。
その時までは、元気でいてね。
お爺ちゃん。

通夜を終えて

通夜のために久しぶりに親戚一同が集った。
といっても10人に満たない小勢力の我が家なので、よく物語に出て来るようなてんやわんやの通夜でもない。
葬儀屋とあれこれ打ち合わせをするだけで、あとは至ってのんびり。
朝から集まっても夕方まであれこれとだべる程度しかやることがない。

就寝中に逝ったらしく穏やかな表情の祖父をみて、全く悲しみが湧いてこなかった。
逝去の知らせを聞いた時は深く悲しみに襲われたのに、実際に対面してみると少し笑みがこぼれてしまった。お疲れさまでした、という気持ちとでもいうのかな。
不思議なほどに悲しみの色が自分の中に無い。

それどころか、急にむくっと起きたら笑えるなとか、坊さんの読経の声が面白いとか、祭壇がなんだか新喜劇のセットみたいだなとか、なんとも不謹慎なことばかり頭に浮かんできて一人でにへらにへらとしていると、すんごい剣幕で母親に怒られた。
今までにろくに見舞いにもいかず、当日も何もしなかった父は祖父の顔を見るなり涙を流して立ちすくみし、祖母や母親達も涙に濡れて目は真っ赤。
全体的にしんみりしている中で、なんだか、自分一人だけ脳天気にしているのが多少浮いているように感じられたのだけど、本当に哀しみはなかった。

亡くなってしまった事実は確かに辛い。
明日、荼毘に付されて二度とあの顔を見ることがないのかと思うと名残惜しくてたまらない。
とはいえ、まだまだ近くに祖父の存在を感じてしようがないのだ。
旅好きだった祖父がまたちょっと旅に出ているという感じで、次はいつ会えるのかなあという程度の寂しさしかない。
思い出話でもしているとひょっこりと顔を出すのではないかとさえ思ってしまう。

今日のところはまだまだ祖父との別れは感じない。
でも、ひょっとしたら葬儀を終えてお骨になった祖父を見るとまた違った感慨が湧いてくるかもしれない。
この点は自分でも不可思議だ。
祖父が最期に教えてくれる貴重な体験。
最後の最後までじっくりと五感を研ぎすましてあらゆることを見定めていこおうと思う。